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人と空気とインターネット 予定調和はつまらない?

IIJ.news Vol.188 June 2025

慌ただしい日常のなか、我々は「今ココ」という感覚を
忘れかけているのではないだろうか?
今回は、筆者が主催するライブ・セッションで得た体験を述べてみたい。

執筆者プロフィール

IIJ 非常勤顧問 株式会社パロンゴ監査役、その他ICT関連企業のアドバイザー等を兼務

浅羽 登志也

平日は主に企業経営支援、研修講師、執筆活動など。土日は米と野菜作り。

セッションでシャウトする!

筆者は現在、2種類のセッションを主催しています。ひとつは、都内の某ライブハウスにおける月1回のソウル・ファンクセッションです。これは一般から参加者を募るオープンなスタイルで、セッション定番曲のなかから20曲くらい「よくやる曲」を決めておいて、あとは「◯◯をやりましょう!」「この曲いける?」など、その場に集まった人たちがやり取りしながら曲を決めて、即興で演奏する形式です。“一発勝負”的な感じで、もちろん緊張もしますし、途中で失敗したりもするのですが、みんなで顔を見合わせながら、なんとか曲が終わると、とても嬉しそうで、心の底から楽しんでくれているのがわかります。常連さんも結構いますし、時々プロの方も来てくださいますが、プロの方でさえ、われわれアマチュアと一緒にノリノリで楽しんでくれています。

もうひとつは、年に3回ほど開催している業界ロックンロールセッションです。こちらは、インターネット業界の仲間たち、といっても同業者、クライアント、競合もいて、若手から経営層まで参加者の幅も広いです。ソウル・ファンクセッションとはまた別の、都内の某ライブハウスを借り切ってやるのですが、事前に演奏曲と参加者を決め、誰がどのパートを担当するのかまできちんと調整します。準備に手間がかかりますが、早く進行でき、また、みんな顔見知りなので、ステージも観客席もとても盛り上がります。そして、みんながとにかく「いい顔」をしていることに毎回驚かされます。

先日、ある企業の管理職のヴォーカリストさんが「実は今トラブってて、対策会議を部下に任せて抜けてきた。終わったら戻らないといけないので、出番を早めてほしい」と頼まれました。それなら「次、お願いします!」と、すぐステージに立ってもらうやいなや、オジー・オズボーンの激しいナンバーを力一杯シャウトして、「ああ、スッキリした」と、穏やかな笑みを浮かべて会社へ戻って行かれました。それは、どこか禅僧が悟りを得た時のような表情にも見えました。

それにしてもセッションが、なぜこれほど楽しく、人を開放する力を持っているのでしょうか? 現代社会を生きる我々は気がつけば、いつも何かに追われています。次の予定、次のメール、次のニュース……といった具合に、目の前にあることよりも、少し先にある「なにか」にいつも心が引きずられています。スマートフォンの通知に反応し、そのたびに画面を開き、指がいくつものアプリを横断していくけれど、そこに自分の意思が働いているとは言い難い。まるで「いつもうわの空で生きている」ようだといったら言い過ぎでしょうか? そんな日常にあって、「今ココにいる」という言葉がやけにまぶしく見えることがあります。

自分の心が「今ココに集中している」状態であることを「マインドフルネス」と言います。特にここ数年、この考え方が静かなブームのように浸透してきているように感じます。マインドフルであるとは、単なる癒しやストレス対策とは異なり、我々の意識のあり方そのものを問い直す、とも言えると思いますが、意識的に自分をこの状態に持っていくのはなかなか困難かもしれません。

マインドフルネスな儀式

そこで、最近ふと気がついたのは、セッションに参加しているみながとても生き生きと楽しそうなのは、セッションがまさにそのマインドフルな状態を自然に引き出してくれるからではないだろうか? ということです。

セッションでの演奏は、何度も練習で合わせてからやるのではなく、曲をその場で決めても、あらかじめ決めておいても、基本的には初めて合わせていくものです。すると、自然に他のプレーヤーの音を注意深く聴きながら、臨機応変に音を出していく、つまり「今ココ」に集中し、自分が何をするべきか即座に判断・反応することを繰り返していく必要があるのです。ほんの数分ではありますが、過去や未来のことなど考えている余裕はなく、ひたすら、どんな音、どんなリズム、誰が今何を弾いている、そこで自分が何をするか……ただ、その瞬間に集中しているのです。すると、不思議とだんだん「自分」という感覚が薄れ、「どう見られているか」「うまくやれているか」といった評価基準からも離れて、音楽そのものの流れに身を委ねるような状態になっていきます。集中しているのに、緊張していない。むしろどこか自由で、心地よい、そんな時間を過ごせているのではないかと思うのです。これがセッションがとても楽しく、毎回大いに盛り上がる秘密なのではないでしょうか? セッションとは、つまりマインドフルネスになるための1つの儀式なのかもしれません。

忘れかけている「今ココ」

現代社会では、コミュニケーションがどんどん「非同期」になっていることも、セッションが楽しい理由かもしれません。メール、チャット、SNSは、いつでも・どこでもやり取りできる反面、即時性やその場を共有する感覚が知らず知らずのうちに失われているのではないでしょうか。最近はやたらとコンプライアンスが強調されるので、先行きが不透明なまま、ドキドキしながら何かを進めていく機会が少なくなっているのかもしれません。何事もなく、予定調和的に、いかに穏便に物事を進めるかといったことばかりに気を遣い、そこから外れると誰かに怒られるのではないかと、いつもビクビクと怯えている。我々はそんな生活に少し疲れているのではないでしょうか。

セッションは、それとは真逆です。その場にたまたま居合わせた人同士が、1回きりの「遊び」に真剣に熱中する。何が起こっても、お互い様。曲が進むに任せて、フェイス・トゥ・フェイスでコミュニケーションをとりながら、その時限りのリアルタイムな活動を楽しむ。そこには普段、忘れかけている豊かな「今ココ」があるように思います。

近年AIの進歩が著しく、ビジネスや日々の生活でいかに便利に活用するかを競い合っているような状況です。人間と比べて桁外れの情報を処理し、はるかに素速く、優れた判断を下すことができるAIをさまざまな面で活用すれば、便利で安全な社会を構築できる。そんな未来に向かっているように思います。それはそれで好ましいことかもしれませんが、それだけだとなんだかつまらない気もします。

これからは筆者が主催しているセッションのように、予定調和的ではない、リアルタイムのコラボレーションにより、新しいものを生み出していく活動を、いかに社会のなかに実装していくかがポイントになりそうな気がします。さまざまな「セッション」が、社会の至るところに芽吹いていく――そんな未来を、我々自身の手で“奏でて”いきたいものです。


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